13.スタッフ訪問記



−アジア未来学校を訪ねて−

 
2004年3月8日〜11日に訪問 高橋政行大学2年
 私のアジア未来学校訪問は2回目だ。前回は約2年前にチバアンポウという村で学校を運営していた時に訪問した。当時、高校を卒業して間もなかった私は、これが貧困というものかと大きな衝撃を受けた。つぎはぎのシャツに、サイズの合わないズボン。学校から帰ると生活費を稼ぐために漬け物作りのお手伝いをする子ども。家にはナベやちょっとした家具。生活に必要最低限なものしかない。日本との生活の違いに戸惑いを感じた。あれから、2年の歳月が 流れ、現在識字学校を運営しているアンロンコン村を訪問した。そこには以前の村よりもっと貧しい状況があった。家は土台がなく、木の棒を地面にさし藁をかぶせただけの簡素なもの。台所もない。もちろんナベもない。家具もない。あるのは少しの衣類だけ。おそらく、ぼくが持って行ったリュックの中身よりも家財道具は少ないだろう。仕事らしい仕事もないようだ。

 こんな状況で暮らすのは本当に大変なことだ。この村を支援する意義を再認識することができた。そして、貧しさ故に目的もなく昼間からトランプに興じる大人の多いこと。そんな環境で子どもたちに明るい未来はあるのだろうか。未来ある子どもたちに識字教育の機会を提供し自分の未来を切り開く力のある子どもを一人でも多く送り出す。これこそ、われわれの使命であろう。現場に入ることによって、自分がこの団体で何をすべきか学ぶことができた。



菊池礼乃大学2年
 2004年3月、日本では桜がきれいに咲き始めた頃、私は初めてカンボジアの地を踏みました。その頃カンボジアはちょうど乾季で、日中は35度以上の猛暑。汗をたらたらかきながら、初めてアジア未来学校を目にすることになりました。これまで写真やビデオを通して学校に通う子どもたちのようすは見聞きしてきたけれど、実際に子どもたちが元気よく声を出して文字を読んだり書いたりしている姿を見て、どこの国の子どもたちも初めて触れる文字や計算への好奇心は変わらないんだと改めて感じました。

 学校を訪問するまで、私の中でひとつ気になっていたことがありました。それは、識字教育というものを現地の人が喜んでいなかったら、私たちはそれを押し進めていいのかということ。アンロンコン村でも、当初は識字教育に関心のない親も多くいたようですし、もしかしたら先進国にいる人が考える「正しさ」の押しつけなのではないかと頭の隅に引っかかっていたのです。現地を訪問して、またカンボジア人スタッフや先生方とも話して、やはりこのアンロンコン村での識字教育は必要だと実感しました。もちろん、識字教育を含む基礎教育は世界的にも推奨されていますし、事実カンボジア政府も推進していることではあります。私が感じたのはそれ以上に学校があることで多くの可能性が生まれているということです。
それは、子どもたちが文字を読めるようになって世界が広がるとか、村のコミュニティ形成に役に立つとか、漠然としたものなのですが、そのようなものを確かに感じ取りました。村の人がそれを感じているのかどうかは私には分かりませんが、それでも子どもたちを学校に送っているという現実からすれば、どこかに未来学校がある意義を見出しているのだと思います。

 私はこの未来学校訪問を経て、このプロジェクトに関わる一員として、会員の皆さん、スタッフ、アンロンコン村の人々と協力して、積極的に活動していきたい!と気持ちを新たにしました。まずは私にできることから、どんどん行動していきたいと思います。




12.カンボジア未来学校便り
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