この学校は、大阪の4つのロータリークラブと韓国ソウル中央ロータリークラブの寄付で校舎を建設し、2003年3月14日開校しました。




 2003年3月14日、開校式は乾季のカンボジアらしい渇いた空気、強い日差しのもと、大人も子どもも村中の多くの人が参加して賑やかに行なわれました。
開校式はカンボジアスタイルにのっとって行なわれたので、まず初めに来賓が来られたら花輪のプレゼントです。その後、席について式が始まり、今回学校建設に多大なご協力を頂いた日本と韓国のロータリークラブ(以下RC)の皆様をはじめ、プノンペン副知事からもご挨拶をいただきました。 
次に当基金代表の禹とカンボジア事務所長の安田が挨拶をし、その後プノンペン市から安田に感謝状とメダルを頂き、最後に、日本・韓国・カンボジアのそれぞれの出席者代表が赤い大きなリボンテ−プにはさみをいれ、無事開校式が終了しました。

ざっと式の流れをお伝えすると数行ですが、実際は朝8時半からお昼までと長い時間かかりました。
それもそのはず、皆さんの挨拶は全て通訳がつきました。そのため、通常の2倍の時間がかかってしまうのです。しかし、その様子が、まさに国を越えたものなのだなと実感しました。
さて、その間の子ども達はというと、そわそわしながらも、列をくずさず真剣に話を聞き、テープカットが終わって学校に入ってもいい状態になると、みんな飛ぶように階段をかけ上り、教室に入っては出て、机を触ったり椅子に座ったりの繰り返しです。中にはもう授業のまねっこをしている子ども達もいました。

開校式を振り返って思うのは、開校式は学校が始まる第一歩でしかないということです。これから学校がどのように進んでいくのかは、わたしたち、村の大人たち、そして子どもたちにかかっているのだと思います。「学校」という枠組みができた今、教育の中身に重点を置いて取り組んでいこうと思いました。





日韓アジア基金代表 禹守根
 日韓に新たにやってきた新春の清風がカンボジアに更なる希望 の木を植えました。
皆様のおかげで、3月14日カンボジアに第2のアジア未来学校が開校できたのです。数々の山も谷もありましたが、着実に固まりつつある日韓の強い絆には勝てませんでした。

 韓国には“半分をもって初めとせよ”という諺があります。何ごとも始まりまでが最も大変だという意味で、まさに始まったばかりの第2の学校こそがこれに当たるのではないかと思います。


 学校を運営していくのも決して容易ではないと思いますが、アジアに愛を植え、育てていこうとする皆様の尊いお気持ちを励みに、粘り強くやって参ろうと存じます。私たち日韓両国のスタッフは、今後とも皆様の尊いお心のメッセンジャーとして頑張らせて頂きたいと思いますので、どうぞ、もっと身近で見守って下さいますようお願いいたします。



日韓アジア基金カンボジア事務所長 安田理裕
 2003年3月14日、第2のアジア未来学校が、プノンペン市ドンカー区アンロンコン・タマイ村において開校されました。式の前日になっても建築の仕上げ段階で未完の部分があったこと、参加者が当初の予定より多くなり、それぞれの所属機関、団体間に全ての連絡が行き届いていなかったことなど、細かい問題はありましたが、当日までには全ての問題が解決され、無事に開校式を迎えることができました。

 式自体は全てカンボジア様式で行われましたが、スピーチをクメール語と英語で行なうなど、国際色豊かなイベントとなりました。日韓カン三カ国から参加のスタッフ、支援者の方、アンロンコン村民、そして国連や他国のNGOなどカンボジアでの開発に関わる方のご参加もあり、このような教育の事業が国を越え、全ての大人の責任で行われるべきという私たちの信念に見合う内容であったと思います。これまで違った場所から、様々な形でご協力くださった全ての「アジア市民」、「地球市民」の気持ちが1つにまとまったような、そんな瞬間でした。

 未来学校の主役となる子どもたちや、そのご家族の参加もありましたが、できあがったばかりの校舎を前に、これから始まることへの期待で胸を膨らませている様子がとてもよく伝わりました。(中には、一体何が始まろうとしているのかがわからずとも、とにかく新しい何かが始まるということでワクワクしていた子もいたようです。)
「オークン」(ありがとう)、そんな言葉をあちこちで耳にしました。これは、これまで学校の準備のために村へ何度も足を運ぶ中でも、よく耳にした言葉でもあります。
カンボジアスタッフは私を含め3名で、この人数で全てを取り仕切ることはかなり大変でしたが、プノンペン市教育局を始め多くの方のご協力でなんとか無事に式を終えることができたと思っています。教育局の皆様、そして、朝早くから、また暑い中ご参加いただいた皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。そして、式にご参加いただけなかった多くの支援者の皆様にもお礼を申し上げたいと思います。

 この式はあくまでスタートであり、何よりもこれからが一番大切なところです。今後も皆様の暖かいご協力、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。



日本ロータリー訪問団代表 大阪住吉ロータリー・クラブ 国際奉仕委員長 滝口 利章様 ご挨拶
 この「アジア未来学校」と私共の係わり合いの始まりは、昨年2002年2月1日の日本経済新聞「春秋」ー論説欄の記事を見た事に始まります。その内容は、カンボジア・プノンペン市の郊外で、就学出来ない子ども達のために識字教育をするため、日本と韓国の学生が協力して行っている活動を、アジアの若者達の新しい潮流として高く評価したものでした。
 2002年3月21日東京で「日韓アジア基金」代表の禹守根君と高橋政行君に会って活動状況を聞きました。世界社会奉仕活動(World Community Service) の対象を探していた我々にとって、「アジア未来学校」は非常に適したものであるという判断を致しました。そして昨年6月に当市(プノンペン)を訪問し、最初の「アジア未来学校」を禹君と安田理裕君の案内で参観し、子ども達の真剣な学習態度と集中に感動致しました。


 早速姉妹クラブである 「ソウル中央RC」の賛同を得て、学生達と同様に日韓協力でこの活動計画を行うことになったのです。日本側でも兄弟クラブである、大阪のRC三団体の参加ご協力を頂くことになりました。我々の活動の意図は、単に資金を提供するだけでなく、一緒に援助を企画し、共に汗も流すこと、そして計画の達成に感動と喜びを共にすることを基本としました。 ここにいたるまでの経過は決して平坦なものではありませんでした。「日韓アジア基金」が学生達だけの運営で、組織が極めて脆弱なことや、最初の「アジア未来学校」の挫折、校舎建設を中心に援助を決めるまでの我々の側の悩み、安田君の交通事故による負傷など、数々の思わぬ不測の出来事がありました。 しかし多くの方々とそれらを克服して本日の開校式を迎えることができました。「アジア未来学校」がアンロンコン・タマイ村の児童達に学習と憩いの場として喜ばれ、それが彼等の将来への成長に役立てば、我々の喜びはこれにまさるものはありません。



ソウル中央ロータリー・クラブ会長 朴 泳求様 ご挨拶
 私は朝鮮戦争がはじまった年に生まれ、ちょうどあなたたちの年頃の1958年から小学校に通いはじめました。その頃、私の国大韓民国は十分な電気もなく、工場や家などの建物も少なく、地方の農家では栄養失調の子どもを育てるための十分な食物もありませんでした。
 特に米や麦の収穫前の3、4、5月には、ほとんどの地方の人々は厳しい飢えに苦しんでいました。しかしながら、都会に住む人も、農家、労働者、軍人も、大統領の強いリーダーシップの下に団結し、今では、子ども達が飢えに苦しむこともなくなり、経済も発展しています。 私はこれからカンボジアが経済の面だけでなく文化的、精神的な意味でも強い国になるだろうと強く確信しています。最後にアジア未来学校の子ども達へ西洋のことわざを送ります。" Boys, be ambitious!" (「少年よ大志を抱け!」)





 今回の第2校開設に当たり、私たちが資金面で悩んでおりましたのは、建物の建設費と、その後の運営費の二つでした。
建物については前述のように、韓国、日本のロータリークラブ様の全面的なご協力で解決致しましたが、開設後の運営費については目処が付いておりませんでした。そこに、ある方から亡くなられたお父さまのお名前で、運営費の半年分強に当たる多大なご寄付のお申し出があり、当面学校の運営を支障なく始められる事になりました。
ご本人とご家族のご希望で、お名前はお出し出来ませんが、ご寄付下さったお考えと経緯を頂戴したお手紙の一部を引用させて頂くことでご報告いたします。


1. 先ず、お申し出頂いた時のお手紙です。
 「私も以前よりカンボジアに学校を建てたいと考えていましたが、何の力もなく何も出来ませんでした。お蔭様で、私は十分な暮らしが出来ておりますので、父が亡くなった時頂いたものをお役に立てたいと考えております。」

2.その後アジア未来学校の子どもたち向けに、お父さまがどんな方であったかのメッセージを頂きました。
「Kじいさんは心が広く、優しく、何事にも前向きで平和を愛する人でした。
生まれた時から目が悪く、60歳位で何も見えなくなってしまいました。でも、その後もテープレコーダーに書類を録音して貰い13年間も働きました。
そのお金で、皆さんが勉強してくれることを大変喜んでいることと思います。
そして自分のためだけでなく、人のためにも役に立つ人間に育ってくれることを
心から願っていると思います。」
このようなお考えで第二校のために多大なご寄付を頂きました。改めて厚く御礼申し上げます。




韓国支部スタッフ チョン・へジ
 こんにちは。私は韓国側スタッフ、チョン・ヘジです。去る3月14日はカンボジアに私たちが建てた第二未来学校の開校式でした。日本側はSTとしてスタッフ数名が一緒にプノンペン(カンボジア)へ行くというので、“韓国側からも誰か行かなくちゃ“と悩んだ末に私が行くことになりました。実は今回は個人旅行も兼ねて早くから韓国を出発していたので連絡がうまく行かなくて、カンボジア駐在の安田さんや日本側のみなさんに心配をかけましたが3月11日夜にようやく会えました!日本メンバーは5人!それなのに韓国からは1人で、はじめは気後れしていました! (日本語の勉強を怠けたことを後悔しました。)


  初日は、ほんの短い時間だけお話しして就寝。そして2日目になりました。2日目はコンポンスプー州の教育オフィスとユニセフのオフィスを訪問し、ユニセフの学校建設現場にも行ってみました。そして3日目の朝はJICAが協力している社会施設を見学し、午後になっていよいよ私たちの未来学校があるアンロンコン・タマイ村に到着しました。

アンロンコン村は思ったより清潔(!?)で、大きな村でした。皆、家を藁でつくって暮らしていましたが、私たちが持っているコンピューターどころか電線すらどこにも見当たりませんでした。もちろんシャワーもなかったし、ご飯を炊くには数ヶ所しかない井戸から水を運んでこなければならず不便そうでした。

そのような所に、アジア未来学校は村の南西の方に建っています。実は開校式は翌日なのですが、学校は未完成な部分が数ヶ所残っていました。そういうわけで子ども達も村の人々も皆熱心に働いていました。子ども達は学校が完成するのを待ちながら、他団体が行なっている野外教室で勉強していました。聞くところによると、毎回人数は違いますが、150人ぐらい集まるのに、机に向かって座れる席はわずか30席。そして新たに建つ学校は2部屋の高床式教室。うーんそれじゃ一体そのたくさんの子ども達はどこに座るんだろう…?


翌日朝早くまた訪ねた村。今日は開校式だというので、村中が騒々しく沸き立っています。
子ども達は嬉しそうに居並び、村の人々も開校式に参加しました。
新しくできた学校は皆とても珍しかったようで、式が終わるや否や皆駆けつけて机に座ってみたり窓辺にぶら下がってみたりする子ども達は、本当に澄んだ目をしていました。目があうたび‘にっこり’と笑うほほ笑みがみんなとても可愛かったです。 その時レゲエ頭をしていた私の頭を皆不思議がって人気者になったり!

しかし、子どもたちが面倒を見ているその弟妹たちは、服も満足に着ていなくて、ある赤ん坊は皮膚病でしたが、治療されてなくて膿んでしまっているのを見て胸が痛みました。

アンロンコン村は店も少なく、もちろん医療施設もないので、子ども達が病気になっても薬を飲むことができないそうです。子ども達に必要なのは難しい手術や高い薬ではなくて、簡単な抗生物質やちょっとした治療だけあれば良いのに、医療の手が及ばないので、ほんの小さな病気でも簡単に命を失ったりするそうです。


夢中になって子ども達と遊んでいたら、もうお別れ。短い時間でしたが親しくなった日本メンバーたちとお別れをして、韓国に無事に帰って来ました。

とても短い時間でしたが、今でも子ども達の顔がありありと記憶に残っています。机も先生も本も鉛筆も皆不足していますが、私たちの努力で子ども達が少しでも勉強できるようにと学校をたて、それを直接見ることが出来たことは私にとって大変貴重な経験でした。
次の機会にはもっと多くの韓国メンバーと日本メンバーが参加して一緒にこの気持ちを分かちあえたら良いですね。


日本支部スタッフ 佐藤 雅俊
 初めてボランティアというものに参加した。今回は現地の状況を知る事を目的としたツアーでもあった。初の海外だったので初めは戸惑いもしたが、いろんなものを自分で見て、実際に触れ合っていくうちにたくさんのことを学ぶことができた。
 カンボジアというと、汚い、治安が悪い、そして地雷という様なイメージがあった。


首都のプノンペンに着いたときは、やはり治安が悪そうだし、歩道で人が寝転がっていたりと、イメージどおりで、あまり来たくない場所だと思った。しかし、現地で働いている安田さんや、その周りで働いている現地の人達、学校の子どもたちを含め、いろんな人と出会い、また来てみたい、また来てもっといろんな事を経験したいと思った。今回のツアーで1つ学んだことは、「物事を近くで見るとよく見え、物事を遠くから見るとその物事の全体が見える」当たり前の事だけど、なかなか難しいものだと感じた。

 カンボジアはイメージと全然違っていて、多分この国だけではないと思うが、同じ場所で、同じ生活をしてみないとわからないものがたくさんあった。イメージだけで終わるのではなく、実際に自分の目で見て経験してみるのもいいと思った。日本程便利ではないかもしれないが、不自由なく過ごせる場所なのだと知ることができた。

国と国の間には国境があるが、人と人の間には何の境目もないということも同時に感じた。1週間という短い間であったが、一緒に参加できてよかった。




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